早速ですが、最初に体調の変化や異変に気づいた経緯を教えてください。

佐野さん舌がんになったのは2006年の61歳の時です。55歳の時に肥大型心筋症でカテーテル手術を受けて以来の大きな病気でした。

私は広告代理店兼編集プロダクションの代表をしていて、当時は毎日仕事が終わると遅くまで飲むのが当たり前。体重も110キロあって、かなり太っていましたね。

ある日、舌の奥に口内炎のような出来物ができて、水を飲んでもお酒を飲んでも痛むのです。 腰痛で処方された痛み止めを飲み、しばらく様子を見ていましたが、全然治らないので近くの町医者に行きました。

先生からは「大したことない」と抗生物質を渡されて、飲んでいたものの一向に治る気配がない。 これはさすがにおかしいと思って、大きな病院で診てもらったら、舌に大豆ぐらいの腫瘍ができていて、ステージⅠVの舌がんだと診断されました。 痛みに気づいてから2カ月経っていました。

がんの診断を受けた際に、どういう想いがよぎりましたか。

佐野さん生まれて初めて死の覚悟をしました。周囲にはがんであることを告げぬまま、身辺整理をしました。 遺言も書いたし、生前贈与もした。がんと告げられたショックもありましたが、経営者として社員を守らないといけないという気持ちが強く、落ち込んでばかりはいられなかったです。

ご自身ががんになった状況をすぐに受け入れられるものなのでしょうか。

佐野敏夫さん

佐野さん医者から「舌がんを含む頭頸部がんは、中高年以上の男性に多くて、過度なアルコール摂取とタバコが原因」と伺い、 それは自分の生活そのものだったので、罰が当たったと納得しましたね(笑)。

あとから知って残念だったのが、口内炎であれば2週間以内で治るということです。その知識があれば2カ月も放置しなかったでしょう。 当時は得られる情報が乏しく、最初の対応が遅かった。我慢せずに早く医療機関を受診していたらと思いますね。

「情報が乏しかった」というのは、舌がんの症例が少なかったということでしょうか。

佐野さん舌がんを含む頭頸部がんは、症例が少ない病気で、全がんのうち5%しかないといわれています。 その中でも舌がんはさらに少ないので、早期発見はなかなか難しいと思います。

舌がんの具体的な治療方法について教えてください。

佐野さん舌がんの治療には、放射線治療と腫瘍を切除する方法があります。私が受けたのは放射線治療で、上限が35回と決まっていました。 20回の放射線治療が終わると、きれいにがんが見えなくなっていたのです。

ひそかに手術不要かもしれないと思ったのですが、CTで詳しく見るとがんの根が深く、手術は免れないと告げられました。

舌の手術は大変そうですが、どのように行うのでしょうか。

佐野さん私のがんは「舌根がん」といい、舌の根っこなので、口からは手術ができません。耳下の頸部をコの字に切って、がんを摘出する方法でした。 その時に舌の4分の1を切除し、左手首の皮膚と動脈を舌に移植する手術(左前腕皮弁再建)を行いました。

佐野敏夫さん [ 術後16年経っても残る左手首の傷跡 ]

術後は食事や会話などできたのでしょうか。

佐野さん不自由さはありましたが、多少味覚もありましたし、食事もおかゆやうどんなどは食べられました。話すこともある程度できましたね。

舌に移植した部分は、もともと左手首の皮膚なので、とうぜん味覚は感じません。つまり、元の舌を多く残さないと味覚が失われることになります。

術後しばらくはかなり話しにくかったです。これは、時間をかけて移植部分の皮膚が収縮するのを見越して、大きめに移植するためです。 退院までは2カ月ほどかかりましたが、その時のモチベーションは体重が減ることでしたね(笑)。

退院後はどのような生活を送られたのですか?

佐野さん退院後は生活態度を改め、お酒もやめました。食事はうどんやおかゆ、お刺身などは食べることができたので、食事を選べば多少外食もできました。 体重は落ちたものの、肥満が解消し、順調に回復しているように思われましたが、経過観察中にまた舌がんが見つかったのです。

手術から一年足らずで、元々あった自分の舌と移植した舌の境界部にがんがあり、取り残しなのか再発なのか、なんともいえないという診断でした。

2回目の手術も1回目と同じ方法でしたか。

佐野さん2007年11月に行われた再手術では、舌の4分の3を切除し、腹部の皮膚を舌に移植しました(腹部皮弁再建)。 20時間におよぶ手術でしたが、幸い成功し、年末には退院。年明けから毎日出社できるまで回復しました。

しかし、退院後には大きな試練が待っていました。舌の4分の3を切除したため、唾液が出なくなり、固形物を食べることができなくなってしまったのです。 話すこともままならなくなりました。

現在は人口唾液などを持ち歩いています。流動食しか食べられないので、食事の楽しみはゼロになりました。 かれこれ16年そういう生活で、110キロあった体重も今では60キロ台になりました。

2回目の術後に生活が一変したと思いますが、落ち込んだりしませんでしたか?

佐野さん振り返ると落ち込む暇がなかったというのが正直なところですね。会社には社員もいましたから必死でした。

仕事のストレスががんの原因かもしれませんが、逆に仕事がなかったら術後に気力を保てなかったかもしれないです。

現在はだいぶ話せるようになっていますが、どのくらいリハビリが必要ですか?

佐野敏夫さん

佐野さん2回目の術後しばらくはしゃべることが全くできなくて、筆談を余儀なくされました。もっとも困惑したことは、手術が終わり、 体力が回復した時点でリハビリなどもなく完了となってしまうことです。そもそも舌がんの手術は、耳鼻咽頭科で見つかったら耳鼻咽頭科で、歯医者で見つかった場合は口腔外科で手術が行われます。

私の場合は耳鼻咽頭科で手術をしましたが、手術が終わってからのアフターケアが基本ありませんでした。 ほかの病気であれば、リハビリなども治療に含まれると思いますが、舌がんは手術が終わればそれで終わりのところが多い。 手術をした人間はそこからが第二の人生なのに、話す訓練もなく終わってしまい、途方に暮れました。

それでどうされたのでしょうか。

佐野さん自分と同じがんの人の話を聞こうと、舌がんの患者会を探しましたが、全然見つからない。ドライマウスの会などにも行きましたが、症状が違うので解決には繋がらないんです。 そうした中、虫歯の治療で歯科医院を受診した際、運良くリハビリができる口腔外科を紹介してくれたのです。

口腔外科の先生に舌がんの患者会について聞くと「東京に舌がんの患者会はない」と言われて、だったら一緒に患者会を作ろうとなったのです。最初は「舌がんの会」を検討していたのですが、 そうすると咽頭がんの人などは入れなくなるので、範囲を拡大して「頭頸部がん患者友の会」としました。それが6年前ですね。

リハビリ方法について教えてください。

佐野さんリハビリは言語聴覚士の指導のもと、舌や口を動かす練習や発声訓練をします。訓練することで、少しずつ話せるようになりました。

また、飲み込みや活舌をサポートするマウスピースも口腔外科で作ってもらいました。 実際にマウスピースを装着すると、食べ物を送りやすくなるほか、話す際に空気が漏れにくくなるなど、生活の質が大きく向上しました。

有益な情報を得られるかどうかで術後の生活の質が大きく変わることをこの経験で実感しました。

「頭頸部がん患者友の会」の話が出ましたが、どのような団体でしょうか。

佐野敏夫さん

佐野さん「頭頸部がん患者友の会」は、頭頸部がん患者とその家族が交流し、安心して自分の悩みや不安を語り合える場を作ろうと、2016年に設立しました。 以来、日本歯科大学付属病院との連携の下、定期的に患者会を開催しています。また、電話やメールでの個別相談も行っています。

ほかのがんとは違い、術後に「食事ができない」「しゃべれない」「顔が大きく変わる」など、外見のみならず、心にも大きな傷が残るのです。

顔に傷が残ったり、思うように話すことができないと人前に出られなくなりますし、術後に仕事や社会復帰の機会を失う人も大勢いる。 それが一生続くわけですから、悲観して命を落とす人もいるのです。

また、患者さんによって術後の状態や悩みも異なりますので、一人でも多く集まることで、近い症状の患者さん同士が情報交換したり、別の人の悩みへの理解も深まります。 医療従事者が毎回同席していることも患者さんの安心感につながるようで、そういう意味でもこの会は大きな意味があると思っています。

病気を乗り越えてご自身に大きな変化はありますか。

佐野さん以前は、自分がしたいことを頑張ってやってきましたが、今は還元するというか人に何かする活動が増えてきています。

自分の会社の経営は続けていますが、それとは別に頭頸部がん患者友の会をNPO法人化したり、障がい者のeスポーツの支援活動など、社会福祉活動にも力を入れています。 がんが私の人生の転機になったことは間違いありません。

最後にこれを読んでいる人に伝えたいことはありますか。

佐野さん「何かおかしいな」と異変を感じたら、自分で勝手に判断せずに医者に診てもらうことです。あとは、複数の病院で診てもらったり、セカンドオピニオンを求めるのも大事だと思います。

日本人はセカンドオピニオンを求めるのが苦手で、「いま診てもらっている医者に悪いから…」と遠慮してしまう人が本当に多いのです。 自分の命にかかわることなので、遠慮せずにどんどん聞くべきだと思います。

私はがんになったことを決して後悔していません。がんにならなければ、頭頸部がん患者友の会を設立することもなかったでしょうし、患者会のメンバーとも知り合えなかった。 術後の後遺症など、さまざまな困難はありましたが、同じ悩みを共有できる場を持てたことは自分にとっても大きな力となりました。

患者会は患者さんに寄り添う伴走者のような存在だと考えています。どうか一人で悩みを抱え込まず、相談していただきたいと思います。